はじめまして。
私たちは、
立中泰輔(たてなかたいすけ) 素子(もとこ
といいます。
山と海が大好きな夫婦が関西から宮城県亘理郡へ移住し、JR旧山下駅前で接骨院をはじめました。
大好きな自然に囲まれながら、患者さんと接する日々。
なぜこうなったか、少し話が長くなりますが聞いてください。

1968年兵庫県尼崎市生まれ 国立兵庫教育大学 学校教育学部(保健体育)卒業
大学卒業後、兵庫県の小学校、特別支援学校の教員になりました。

1968年兵庫県神崎郡生まれ 国立神戸大学 教育学部卒業
大学卒業後、兵庫県の小学校、特別支援学校の教員になりました。

1996年に二人は結婚し、2004年に夫は教員を辞め、カナダ・ウィスラーへ1年半住みました。

ウィスラーでアウトドア三昧。2人とも冬にカナダスキー教師の資格を得ました。

帰国前に夢だったアラスカ・ユーコン川を2人でカヌーで下りました。

帰国後、夫はスキーのインストラクターと臨時教員、妻は、教員に復職しました。
そして二人でスキーとサーフィンと旅をずっと続けていました。

2011年1月、初めて宮城県亘理町に訪れました。
あの大震災の2か月前でした。

1月の快晴の阿武隈川の河口で「太平洋」を見て、
振り返ると真っ白「蔵王」が目に飛び込み、二人で移住を決めたのでした。

亘理駅前の家を借りて、いったん兵庫へ戻りました。仕事が3月末まであったからです。


その2か月後、 

2011年 3月11日 東日本大震災

借りた家はぎりぎり無事でした。しかし沿岸部は津波に遭っていました。
4月16日、コンロとストーブ、灯油と自転車、寝袋を車に積み亘理に移住しました。

移住してすぐに震災ボランティアを始めました。避難所にたくさんの方が避難していました。

2014年、夫は国家資格「柔道整復師」を取得しました。そして、接骨院に勤め研修を始めました。

ここの地の利は、我々にはやっぱり最高でした。サーフポイントまで5分。
海は震災の翌年から入れるようになりました。

雪山まで1時間。

午前中パウダーを滑り、午後には家でビールを飲むことができます。

こうやって暮らし始めた東北。
3年が過ぎたころ、関西に帰省するときに飛行機に乗りました。
飛行機から見た沿岸の夜景は、真っ暗な部分と、灯りがぽつぽつとあるところと、灯りがたくさん集まっているところが、くっきりと分かれていました。
多分、震災前と震災後は全く変わってしまったんだろうと思います。
機上から見た実際の景色は、高度がもっと低かったけど、こんなイメージです。

「あのまっ暗なところと灯りがあるところの境目に、灯りをいっこ増やしたい。」
「それいいね!」
機上で二人で話しました。
この会話は二人ともずっと覚えていました。

そして2年後、それが実現します。

隣町のJR旧山下駅前の建物の1階を貸していただけることになりました。
この1階の天井近くまで津波はやってきていました。
壁を壊すと津波の泥が出てきました。

大工さんと一緒に解体して泥を全部出し、基礎的な工事をしていただきました。
資金不足のため、途中からは自分たちで内装を作りました。ほぼ二人きりで作業して3か月あまり…。

壁には漆喰を塗りました。
床には無垢の古材を貼りました。
できるだけ接着剤を使いたくなかったのです。

接骨院のすぐ目の前にはこんな景色が広がっていました。
JR旧山下駅の跡です。2016年の夏。

(今はこのホームは取り壊されました。景色はすごいスピードで変わっていきます。)

こうして2016年10月3日「たてなか接骨院」を開業しました。

接骨院は、骨折、脱臼、捻挫、打撲、挫傷を診ることが主な仕事です。
もうひとつ大切な仕事があります。
それは、「専門医の紹介」という仕事です。
膝や手、脊椎のそれぞれの専門整形外科医、リウマチの専門医、または腫瘍や内科疾患など、専門の病院やドクターを紹介する仕事です。
その人にとって最も良い治療の流れになるように。遠回りにならないように。
震災後もこの町が好きでここで暮らしている人たちがいます。
私たちは、その人たちの健康の一助になりたいと思っています。

接骨院の斜め向かいに町の慰霊碑があります。大地の塔と石碑に震災で亡くなられた方のお名前が刻まれています。
そこに、時々お花をお供えして帰られる方がおられます。そのお花が枯れたら隣の橋元商店のご主人が片付ける様子を私たちは目にしていました。
そこで、町にお願いして慰霊碑前にプランターを設置させてもらいました。毎朝水やりをするのが日課になりました。

もうひとつ、接骨院の駐車場の隅に小さなお堂を建てたいです。亡くなられた方の魂が安らぐように。

ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
私たちのことを知ってもらってすごく嬉しいです。

たてなか接骨院
立中泰輔 素子

2020年5月お堂を建てることができました。一緒にお堂を作ってくれたAさんのご家族の皆さん、本当にありがとうございました。